「白秋文学コース・ひきはし
引橋の茶屋のほとりをいそぐとき
ほとほと秋は過ぎぬと思ひき
山峡に橋を架けむとかがやくは
行基菩薩か金色光に
三崎における白秋足跡の北限がこの引橋です。このあたりは三浦一族の居城、
新井城の要害、北条早雲とのたたかいに橋を引いて敵の侵入を防いだといわれ、
三年にも及ぶ凄惨な攻防戦の故事にちなみ、引橋の地名がいまに残っています。
以前橋のたもとには名物の茶屋が賑いを見せ、街道をまたぐ見事な藤棚や、左
右の渓の木々が紅葉し、遥かに相模湾をへだてての富士は美しい景観で、三浦
名勝のひとつとして知られています。
茶屋は引橋 藤の花盛り
娘ざかりは 来て三崎
白秋は俗謡「沿海雑曲」の一節にこう詠んでいます。」
この看板があるのは引橋
三浦海岸もしくは三崎口方面から、旧県立三崎高校(ロックの学園開催場所)を過ぎて、
坂を下りきると三差路になっています。
そこから上り坂になりますが、少し上った右側にあります。
ちょうど三差路のところに別の看板がありますが、これについては後日書きます