「城ヶ島灯台
城ヶ島灯台の歴史は古く、慶安元年(一六四八年)、当時三崎奉行であった
安部次郎兵衛が徳川幕府の命によって航行する船のために島の東端安房崎
に烽火台を設けたのが始まりで延宝六年(一六七八年)にこれを廃して、島の
西端に灯明台を設けました。その後、享保六年(一七二一年)代官河原清兵衛
が再度かがり火に代えましたが、この火光については晴夜光達約三十キロメー
トルと伝えられ、燃料費は浦賀入港の船舶から徴収していたと言われます。この
かがり火による灯台は明治三年八月十二日夜まで続きましたが、以降フランス
人技師の設計造築による新灯台に代わりました。この新灯台は、わが国五番目
の洋式灯台で、関東大震災(一九二三年)で損壊しましたが大正一五年に改築、
現在の灯台は「灯質 閃白光十五秒に一閃光、光度三十一万カンデラ、光達距
離 約二十九キロメートル、灯高 基礎上九.一メートル、水面上三〇.一メート
ル」で、今日まで城ヶ島沖を航行する船人の心の灯となっています。
三浦市」
この看板は城ヶ島灯台の裏側にあります
この仕事のお陰で城ヶ島灯台には数年ぶりに行きました
洋風の公園に整備されてからは初めてかもしれません
ちなみにこの灯台の登り口に隣接する「かねあ」という食堂は友人のお店
城ヶ島で唯一のバリアフリーの店で、漁があれば生シラスも食べれます