「矢の根井戸
源為義の第八子、源為朝は幼少より意気豪逸、十三歳のとき、父為義に
より九州へ放逐されたほどですが、その九州でも武威を大いに発揮、土地の
豪族を征服して、みずから鎮西八郎為朝と称して勢力を奮いました。
しかし、その為朝も「保元の乱」では、藤原頼長の判断力欠如から作戦策
が用いられず、これがもとで敗退、ついに平清盛の武将平家貞の捕えるとこ
ろとなりました。ただしその武勇を惜しむ声により、死一等を減じられて伊豆大
島に流罪になりました。
きのうの威とはうって変ったきょうの悲運、為朝は流人の島から、「わが弓勢
昔に変らずや」と、鎌倉に向かって矢を放ち、せめてものうさ晴らしをしたと伝え
られていますが、その矢が誤ってここに落ち、その矢の立ったこの地点から泉が
こんこんとわきでて、井戸となったので、「矢の根井戸」と呼ばれるようになったと
伝えられています。」
この看板があるのは剣崎灯台の付近
軽車両が一台通れるくらいの道を行くと、途中に海に降りる坂があります
その坂を降り切った先にあります