「三浦一族の歴史コース 歌舞島
鎌倉時代、すでに三崎は、鎌倉幕府の行楽の地として、源頼朝公をはじめとして
多くの幕官が来遊していました。ここ歌舞島も頼朝公が歌舞宴楽を催したところか
らこの名が残されています。また一説には、三浦義村の招きで当地を訪れた将軍
藤原頼経が来迎(極楽から仏を迎える)の儀を行い、読経歌舞を催したところから
その名が伝えられたともいわれています。
この歌舞島を土地の人は訛って「かくじま」と呼んでいますが、別名兜島ともいい、
往時は兜に似た離れ島でありました。
それが地殻の隆起によって現在のように海岸に突出した陸つづきの小丘となった
のです。
このあたり一帯の磯は、岩礁の変化と男性的な海岸美で知られ、荒天どき千様万
能の磯岩に挑んで白く砕ける黒潮の雄大さは、水煙千丈とでも形容すべきでありま
したが、現在は埋め立てられており、その情景を見ることできません。
また、頂上から眺める霊峰富士や相模湾の夕映えは天下の絶景です。」
この解説板があるのは有名?な三崎朝市会場の近くです
自分も子供のころはここでよく遊んでいましたし、夏は目の前の海でバーベキューを
した事もあります。
文中にもあるように、今は埋め立てられその片鱗は全くありませんし、歌舞島そのもの
も、会館が建てられ昔の名残は薄くなってしまいました