三浦市観光解説板その1
油壺マリンパークの近くに新設する観光解説板です。
「三浦道寸の墓
新井城主三浦道寸義同(よしあつ)は鎌倉以来坂東武門の名族である三浦一族
最期の当主となりました。三浦一族は始祖為通にはじまり鎌倉時代には北条氏と
ともに幕府を二分して覇権を争ったことはよく知られています。この間、和田の乱
(和田義盛滅亡)宝治合戦(三浦泰村滅亡)などいく度か興亡を繰り返し四五〇年
の後、奇しくも同じ北条を唱える伊勢新九郎(北条早雲)と戦い、戦国争乱の世の
露と消えました。
永正九年(一五一二年)北条早雲は岡崎城(平塚市伊勢原市両市にまたぐ)から
住吉城(逗子市)などにつづいて三浦氏を新井城(油壺)に攻めました。
そして日本籠城史でもまれな凄惨な攻防は三年にわたり、永正十五年七月十一
日義同以下城兵ことごとく決戦にのぞみ、ここに、さしもの三浦氏はその歴史を閉じ
ました。
(義同辞世の歌)
討つものも討たるるものもかわらけよ
砕けて後はもとの土くれ」